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荒川線の車両の歴史

荒川線の車両の歴史

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都電の全盛期を支え広範囲で活躍

1953(昭和28)年から1956(昭和31)年までに93両が製造され、都電の各路線で広く活躍した。

正面2枚窓で後部乗降口を中央部に移設、大きな窓を持つスタイルは高知や鹿児島の車両にも影響を与

えた。7020は東芝製直角カルダン試作車 として知られている。

 

1967(昭和42)年の都電縮小時から廃車が始まり、7032~34および7036~7042の10両は函館市交通局に

譲渡され1000形として最近まで活躍していた。

 

1972(昭和47)年に荒川車庫に集まってきた車両は、1955(昭和30)~1956(昭和31)年にかけて日本

車輌と日立製作所で製造されたグループで、7000形の最終グループにあたる。

特に7055は新製以来荒川車庫から離れることがなく、ずっと現在の荒川線の軌道を歩み続けてきた。

 

1977(昭和52)年から荒川線新装に伴い、下回りを再利用して新造車体に載せ替える更新が行われる

ことになる。更新車はいまでも現役で活躍を続け、さらに7700形に更新される車両も登場した。

7000形

 

荒川線の新装時には車体はそのまま使用

1962(昭和37)年に20 両が製造された。8000形以来5年ぶりの新車であり、性能は7000形に、スタイル
は8000形に準ずることから、その中間を取って7500形と付けられた。

7501~7510は日本車輌製、7511~7520は新潟鐵工所製である。

8000形譲りの正面3枚窓スタイルであるが、前照灯が前面両脇に2つ設置され、系統板を中央部に設置

する独特のスタイルとなった。

 

また、直線的な車体デザインの8000形よりも丸みを帯びたものとなり、7000形に先祖帰りしたように

も見える。

 

8000形では車体を軽量化したことから重量が7000形に比べて 3.5トン軽い12トンとなっていたが、

7500形では7000形と同じ15.5トンに戻っている。

当初は全車両が青山車庫に配属され、1968 (昭和43)年の青山車庫の廃止で7501~7510が荒川車庫に、

7511~7520 が柳島車庫へ転じた。さらに柳島車庫が廃止されると、7517 と7519 を除く8両が荒川車庫

に移ることになった。

 

荒川線の新装では、 当時としては車齢が若かったことからそのままの姿でリニューアルされることと

なり、 ワンマン化改造が行われた。

大きな改造点はホームかさ上げに伴うステップの撤去で、ドアもサイズが異なることから交換され、

さらに先頭乗車口付近はやや絞った形状だったので、車体を少し張り出させることでホームとの隙間

を少なくした。視野を広くするために前面中央窓を1枚の固定窓にしたこともあり、車体は変わってい

ないにもかかわらず前面から受ける印象が 若千変わっている。

 

ワンマン化による運転手の負担を軽減するための改造がメインであり、極力片方の運転台において各種

操作が可能なよう に改められた。

 

ビューゲルは空気式自動起倒反転装置を設置した。

運転台中央に運転手用座席を新設し、室内灯も両端の運転台から操作できるようにした。

前面方向幕を自動化するととも に側面にも方向幕を新設し、1つの操作盤で一括操作が可能となった。

 

車内外に確認用バックミラーを新設したほか、 降車口には光電リレー装置を設置、旅客がこれを跨ぐと

乗務員にランプで知らせるとともに、ドアを閉じることができなくなるなど、安全性にも配慮している。

 

 

ほかに運転台への料金箱設置や、降車合図押しボタンを26か所に新設、自動案内放送用オートコーダー

も搭載した。さらに乗客用非常スイッチを車体中央に設け、不測の事態にも備えた。

 

当然ながらワンマン機器用の電源が必要なことから、従来のDC6Vからバス用のDC24Vのものに交換され

ている。これらのワンマン機器は新設したキースィッチを入れることで操作可能になるが、キースィッチ

によってワンマン車とツーマン車とに切り換えもできるようになっており、ツーマン車の場合は従来どお

り車掌が降車口を操作することになる。

 

さらに暖房器を運転台に1個ずつ、座席下に6個新設、中央部の座席5人分を撤去して車いす2台分の

スペースにしている。

 

ボディカラーはツーマン車との判別のために 赤帯を青帯に変えてワンマンカーであることをアピール

している。

 

改造は18両のうち 7509 と7514を除く16両に 施工され、残された2両のうち7514は長らく荒川車庫に

ツーマン時代の姿のままで保管されていたが、1999(平成11)年から江戸東京たてもの園に貸与される

ことになり、同園で美しい状態で展示されている。

 

後年7000形と同様に車体を載せ替えることに なるが、 その際に改造から漏れた車両のうち、7504号車

はその後も朝ラッシュ時の学生輸送などに活躍、2007(平成19)年に引退後は荒川車庫内の

「都電おもいで広場」に保存展示されており、この時代の面影を偲ぶことができる。

7500形

 

全国にそのデザインが広がった規範モデル

都電において戦後初めての新造車で、1947(昭和22)年度から1952(昭和27)年度にかけて実に290両もの

製造を見た。

前後扉で前面は3枚窓という流麗なデザインは評判を呼び、これをモデルにした車両が秋田や岐阜など全国

の路面電車の事業者に相次いで登場したこともよく知られている。

とさでん交通200形は今でも現役で活躍している。荒川車庫に6000形が配属されたのは意外に新しく、

1966(昭和41)年に6001~6010が転入したのが最初である。

 

その後に転出入を経て、 最終的に13両が残存した。形態はさまざまだが、6080と6086は更新工事の際に

前面方向幕が大型化され、異彩を放っていた。

 

6210は事業用車である。1972(昭和47)年以降は、殆どの運用を7000形や7500形で賄えたことから活躍する

機会は少なかったが、7000形、7500形のワンマン化工事の際には、車両不足から6000形の稼働率が上がり、

最後の活躍を見せてくれた。

 

1978(昭和53)年の荒川線新装(ワンマン化)に伴い全車が引退、花電車用に改装された乙6000形も荒川線

新装で運行した後は留置状態が続き、1981(昭和56)年の車庫改築に伴い廃車となった。

 

ただ1両、6152は応急車として残され、専用のラッセルヘッドを付けて降雪時に出動するなどの活躍もあった

が、1987(昭和62)年9月「都電ギャラリー’87」として復活、 1988(昭和63)年にはアルナエ機に送られて

電動発電機設置や室内灯の蛍光灯化など大規模修繕を実施、ボディカラーも昭和30年代のクリームと

グリーンのものに改めて同年9月5日から再登場する。

 

ヘッドライトが球1つということから「一球さん」の愛称が付けられた6152は、夏季以外の第1・第3日曜日

には定期運用を持ち、貸切指定も可能だった。

 

運行時にはツーマン車であることから車掌が乗務するなど、懐かしい都電を思わせるスタイルで人気を博し

たが、京福福井での正面衝突事故の影響でプレーキシステムの懸念から2000(平成12)年12月17日を最後に

運行を取りやめ廃車、その後荒川区が引き取り2003(平成15)年4月よりあらかわ遊園に保存展示されている。

 

沿線の飛鳥山公園には6080が保存されているほか、神明町車庫跡には6063を保存、さらに都内の個人宅に

6086が引き取られて保存されていたが、鉄道博物館の学芸員だった岸由一郎氏の尽力によって2008

(平成20)年6月8日未明荒川車庫への里帰りが実現した。

その1週間後の岩手・宮城内陸地震で帰らぬ人となっ てしまった氏の最後の大仕事となった。

荒川線ツーマン時代最後の姿を残す6086は自走はできないものの、イベント時などにファンの前に現れ、

好評を得ているほか、2011(平成23)年に江戸東京博物館で行われた「東京の交通100年博」では荒川

車庫から博物館へ陸送され、函館から里帰りしたヨヘロ型と並んで展示されたのは記憶に新しい。

6000形

 

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