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荒川線のリニューアル

荒川線のリニューアル

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既存車両のワンマン化

交通局が1976(昭和51)年に策定した第2次財政再建計画において、荒川線の運営安定化を図るための

方策として打ち出されたのが「ワンマン化」であった。1路線のみの存続ではスルメリットが活かせ

ないこともあり、運営費用が増大していたことから致し方ないことであったが、1日あたり9万人

利用者がいる荒川線では円滑にワンマン運転へ移行するのに伴い、運転計画や車両改造などが必要

であるため、2段階に分けて既存の車両のワンマン改造を進め、過渡期にはワンマンカーとツーマン

カーを混合して運用することになった。

 

 

すなわち、1977(昭和52)年10月から一部ワンマン化、翌年4月から全47両でのワンマン運転を開始

する計画である。

 

なお、ワンマンカーとツーマンカーとを区別するため、車体のライン色を変更している。

 

7500形はこのときは車体更新が行われなかったので、そのまま帯を青に変更し、新車体となった

7000形は帯および前面窓枠に青を使用した。

 

第1次ワンマン化では7500形16両を改造して充当、また停留場の改良も進められた。

 

専用軌道が多かったことから幅の広い停留場が多く、ワンマン化に伴いスムーズな乗降を図るため、

ホーム面を車体床面に近づけるというバリアフリー化が図られた。

具体的には、当時レール面上250mmにホームを設けていたが、これを同500 mmにかさ上げすることで、

車両床面の760mmに対して260mmの1段での乗降が可能となった。

 

また、改築に伴い上屋も整備されるなど、当時としてはハイグレードな停留場が整備された。

 

さらにこの時代には珍しい車いす用スペースが車内に新設されたのは、今から見れば先見の明だった

ともいえる。

 

営業所の調査によれば1981(昭和56)年時点で車いすの利用者は月あたり3~11名程度であったが、

今日では車いす利用者の姿は珍しくない。

 

第1次ワンマン化へ向けて車両や施設面のエ事は予定どおり進捗していたが、肝心の運転手の点では

東交(東京交通労働組合)との交渉がなかなか合意に至らなかった。

 

暗礁に乗りかけたというのが実情だったが、ワンマン運転の開始予定日まであと3日と迫った9月27日

にようやく合意に達し、残り2日間で教習を完了するという駆け込みのハードスケジュールになった。

 

都電のワンマンカーが出そろう

ワンマン・ツーマン車が混雑することになれば、車掌が必要だったり不要だったりと車両によってば

らばらで、配車手配には苦労したという。

 

また、乗客のほうも慣れていないため、当初は遅延が発生しがちだったが、 これはワンマンカーが

定着するにしたがって解消していった。

こうして1978(昭和53)年3月末まで に更新車体にリニーアルした7000形ワンマンカー31両が出揃い、

4月1日から荒川線は全車両がワンマン化されたのである。

 

なお、ワンマン化に伴い車掌がいなくなることによるさみしさを和らげるため、車内放送は男声の

ものが採用された (現在は女声)。また、ドアが閉まると「チンチン 」という音が響き、

ツーマン時代の郷愁を今の8900形に至るまで残しているが、こちらも電車の発車時に乗客に知らせる、

という意味合いで自動化して残している。

 

この「荒川線新装」に伴い記念乗車券が発売されたほか、都電では19年ぶりとなる花電車5両と装飾

電車 2両を運転、花電車は6000形を改造した乙6000形を使用したもので 、3月30日から4月10日まで

運行された。

 

装飾電車は3月26日から31日まで6000形2両 (6181 • 6189)、 4月1日から7000形2両(7001•7031) に

代わり、 花電車 とともに4月10日まで1日2回運行され、沿線では大賑わいとなった。

 

走行環境の整備も並行して進められ、1976 (昭和51)年11月には王子駅前~飛鳥山間の軌道を明治通

り中央部へ移設する工事に着手し、1980(昭和55)年10月には道路計画の進捗に伴い、面影橋~早稲田

間の軌道も道路中央部へ移設されている。

 

 

 

 

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