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滝野川一丁目停留場とは

滝野川一丁目停留場

滝野川一丁目停留場は北区滝野川一丁目にある停留所である。

 

 

目次

金剛寺

紅葉の名所滝野川も幕末は騒然とした。元治元年(一八六四)幕府は外国船に備えて反炉と大砲錐
入水車の建造をはじめたが、維新を迎え、中途のまま放置された。

真言宗で山号は滝河山という。弘法大師の開甚といわれ、大師作の不動明王、弁財天をまつる。

山門を入ると風神雷神の石像が立っている。文化のころ(一八〇四-一八)より紅葉の名所となり、
紅葉寺とよばれた。

 

石神井川に臨める高崖の上に金剛寺あり。

 

水を狭みて両岸楓樹多く、早くより紅葉の名所となれり」石神井川(音無川)の崖下には洞窟が
あり、大師作の松橋弁財天像がまつられていた。現在は金剛寺本堂に安謹されている。ともあれ、
江戸時代の滝野川あたりは江戸市民のかっこうな行楽地で、飛鳥山の桜に対して滝野川の紅葉と
いわれた。

 

しかし、いまは住宅街となり、残念ながら、その風情はうすれてしまった

 

 

紅葉の名所であった金剛寺

 

 

 

 

正受院

音無橋からはじまる遊歩道を、音無川に沿ってゆくと、左手に正受院がある。

純中国流の鐘楼門が、目を惹く。正しくは思惟山正受院浄業三昧寺という。寺の裏を石神井川が
流れ、かつては不動の滝が落ちており、不動明王がまつられていた。病いでなやむ人たちはこの
滝にうたれたり、灸治をしたりして、正受院に寝泊まりしたという。

河川の改修でこの滝は失われてしまった。

正受院は、別名を「赤ちゃん寺」という。慈眼堂に死産児らの遺骨が納めてあるからだろう。

本堂の左手前に甲冑姿の石像がある。

幕末に国後、択捉などを探険した近藤重蔵の像である。

都は、めずらしい石像である。

 

 

 

 

滝野川

滝野川という地名は古く、『源平盛衰記』に「武蔵国豊島の上滝の川と云処陣取」と見える。
三丁目の四本木稲荷は、頼朝旗揚地といわれ、かつては榎の古木があった。

江戸時代になると、八代将軍は、この地が生地の紀州に似ていると愛着を示し、熊野権現ゆか
りの王子権現(王子神社)を保護し、あたり一帯を江戸市民の行楽地として

開発した。石神井川も、紀州のそれにあやかって音無川と改めた。紅葉の名所となった滝野川
の中心が金剛寺で、境内には石造の仁王像や大黒天、恵比寿などがある。

 

音無川(石神井川)

ところで、音無川(石神井川)の両岸は楓並木が整備され、かつての情緒をとりもどしつつある。
楓並木に加えて、さくら緑地、もみじ緑地、緑のつり橋など緑が濃い。

 

とくに音無川の蛇行する跡をそのまま公園とした「さくら緑地」のあたりには、昔の自然がいち
ばんよく残っている。都内唯一の吊橋「みどりの吊橋」があるのもこの緑地である。

音無川沿いにある正受院の風情もよい。

帯目の入った境内に入る瞬間が、なんともいえない。

それにしても、渓谷美をつくるこの音無川の流れに、魚が棲むようになるのは、いったいいつの
ことであろうか。

 

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この記事を書いた人

あらかわ線で

毎日通勤しているサラリーマン

略して『あら通マン』

全国の路面電車も好きなので

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